児童書で読む近代職業としての看護師とその確立者~村岡花子/丹地陽子『戦場に命の光 ナイチンゲール』(新装版、講談社 #火の鳥伝記文庫 )~

1.はじめに

メインの研究室ブログ『仲見満月の研究室』では、今秋に「読書の秋」として、企画「児童書×人文学」のシリーズ記事で、次の2つを書きました。

 ・「「児童書で読む神話や伝説の「物語」~加藤綾子/Tobi『ギリシア神話 知っておきたい!神様たちの物語』(角川つばさ文庫)~」

 ・「児童書で読む #平安時代 の衣食住と恋愛~川村裕子『平安女子の楽しい!生活』 (岩波ジュニア新書)~

これまでのテーマは、第一弾がギリシア神話、第二弾は平安時代の貴族女性の生活と恋愛でした。今回の第三弾は、近代職業としての看護師を「創始」したナイチンゲールの伝記を書評いたします:

本書を手に取ったきっかけは、スマホRPG『Fate/Grand Order(FGO)』に、ナイチンゲールの登場したことがあります。ゲームでのレアリティは★5で、クラスはバーサーカーであり、近代ヨーロッパの軍服を模した制服を着た姿で描かれていました。FGOにおける彼女は、治療のために厳しい姿勢を貫く人物として描写され、一部のファンは彼女を「婦長」と呼び、親しんでいるとか。そういったFGOのナイチンゲールを見て、私は現実世界の彼女の生涯、および活動と時代背景、近代の医療における業績を知りたいと思い至りました。


それに加えて、彼女が派遣されたクリミア戦争を通じて、近代の医療規範や職業について、社会史な部分から知りたいと考えていたことがあります。具体的には、19世紀のイギリスの病院の衛生環境が整えられているプロセス、戦争後にナイチンゲールの尽力による看護師の社会的地位の変化など、です。


特に、近代の医療職として看護師を確率したことは、ナイチンゲールの力が大きいとされています。例えば、彼女が改革をするまで、看護師とは「たいていなまけもののいいかげんな女で、患者のものをぬすんだり、酒を飲んだりすることも平気で」、「そのころあった女性の仕事のうちで、いちばん評判が悪く、いやしいものとされて」いました(本書p.56)。クリミア戦争の後、彼女がロンドンに開いた「ナイチンゲール看護学校」は、「看護師という地位を、ちゃんとした教育と訓練を経た職業に高め、女性が世の中に出てひとり立ちするための、最初の道を開いた」教育施設であり(本書p.153)、後に外国にもそのシステムは広まっていったということでした。


前置きが長くなりましたが、次の項から書評を始めましょう。



2.児童書で読む近代職業としての看護師の創始者~村岡花子/丹地陽子『戦場に命の光 ナイチンゲール』(新装版、講談社 火の鳥伝記文庫)~

 2-1.本書の簡単な内容紹介

イギリスの上流階級に生まれたフローレンス・ナイチンゲールは、父親の教育方針で、姉と共に複数の言語や、歴史、哲学などを学んで育ちました。そのかたわら、母親に付き添い、参加した社会奉仕活動を通じて、病気で苦しむ人々を救うことを己の生きる道と悟ります。彼女は18歳ごろ、社交界デビューを果たしたものの、華やかな世界と貧しい人々を助けるという夢の間で苦悩し、家族の理解を得られず、特に母親と姉とはすれ違ったことで、彼女は20代で病に倒れることも経験しました。


意志の強いフローレンスは、社交界で得た縁を頼り、1851年の31歳の時、ドイツのカイゼルスベルト学園で3ヶ月間、看護法の勉強をする機会に恵まれます。33歳で、彼女はロンドンのハーレー街の慈善病院の再建をやってのけ、評価を得たようです。やがて、陸軍大臣のシドニー・ハーバートは戦場での傷病兵の治療のため、友人のナイチンゲールを戦地の陸軍病院の看護師責任者に推薦。こうして、イギリス政府は彼女を「トルコのイギリス陸軍病院看護師監督官」に任じ、1854年10月下旬、ナイチンゲールと看護師の一団を現地に派遣したのでした。


船酔いに吐きそうになるのを抑え、到着した一団を待っていたのは、とけたように横たわる傷ついた軍馬の死骸、傷を負って熱と痛みに苦しむ兵士たちが廊下にまで転がされた陸軍病院でした。想像を絶する環境に口を手で覆う看護師たちの横で、ナイチンゲールは、患者のために食事を作り、寄付やポケットマネーを集めた資金で掃除用具を役人に買わせ、病院の衛生環境を整え始めます。時に、嘘つきな部下や、反対する政治家に看護活動を阻まれ、仕事のし過ぎで「クリミア熱」なる病気で寝込みながら、彼女は本国のハーバートたちに連絡を取り、看護を続けました。


1856年7月、帰国の途についた後も、アラフォーのフローレンスは、ビクトリア女王夫妻にイギリス軍の衛生状態の改善を進言したり、病院の衛生環境を改善するマニュアルや、一般女性向けに『看護覚え書』を出版したり、意欲的に活動を続けます。1860年、ロンドンに看護学校を開いた頃から、もとは身体の弱かった彼女は、ベッドから起き上がれない生活になっていきます。傷病で苦しみ、貧しさに苦しむ人たちを救いたい。病床でも、論文を書き、書類を裁き続け、ナイチンゲールは1910年、90歳の夏にこの世を去りました。


 2-2.本書の内容に関するコメント~ナイチンゲールの生涯と近代の職業としての看護師における功績ほか~

本書では、たびたび、フローレンス自身の書いたとされる文章が登場します。そこには、何が何でも決めたことはやり通す頑固さ、否、意志の強さ。それから、部下や政治家たちに対する厳しさ、時に他者の意見を聞かないが性格が窺えます。このあたりの強情さは、FGOのゲームに出てくるバーサーカーのナイチンゲールに、きっちり、反映されていると感じました。


イギリスのジェントリに生まれたナイチンゲールは、持ち前の賢さと明るさ、教養とダンスを魅力だったようです。上流階級出身の母親がそうであるように、同じ身分の婿を迎え、嫁ぎ先の家の奥方として使用人に囲まれ、客人を招いて料理を振る舞い、ときに仕事をする夫のよきアドバイザーとして、平穏な一生が約束されていました。そんな、「並外れて裕福で才能と人脈にめぐまれながらも、けっして楽な方向へと流されることは」なかったナイチンゲールが、本格的な看護の教育を受けたのは、30歳を過ぎてからだったといいます。


本書巻末の年表を見ると、彼女がドイツに滞在し、カイゼルスベルト学園で看護教育を修めたのは、31歳の時。読者の私は、ナイチンゲールの生きた19世紀のイギリスにも、身分も、受けた教育も異なります。ですが、偉人である彼女が30代で本格的に看護師の道を歩み始めたことを知り、今、そのくらいの年代の私は、大いに励まされました。自分だって、まだ頑張って仕事を探せるかもしれない、と(実際に、私が新たな職を見つけられるかは別として)。それは、「結婚しない女性や夫と死別した女性が自立して生きていく」ため(本書p.183)、看護師を目指した人たちも、近い気持ちだったのではないでしょうか。


そもそもの話、彼女がドイツの学園で看護を学ぶことができたのは、自身の地頭のよさに加えて、父親が授けたという、当時最高に贅沢な教育がベースであったのは、否めません。フローレンスが少女時代に受けた教育には、仏語や独語、イタリア語の読み書きと会話、哲学や政治学、宗教学に加えて、女性の学ぶことの珍しかった数学がありました。解説者で、日本赤十字看護大学准教授の川原さんによれば、イギリス陸軍の衛生改革のためにナイチンゲールの行った統計分析は、「軍隊と一般人とで病気になる人の割合を比較して、軍の衛生環境を大きく改善した」もので(本書p.182)、そこには少女時代に学んだ数学が役に立ったと思われます。


ナイチンゲールの功績は、近代の医療職や衛生環境の改善に関するものだけではありません。出身階級が低く、識字率の低い兵士たちに対して、教育を受けられる学校を整えたり、音楽や演劇、ラグビーやサッカーを楽しむことを教えたりしたことでした。これはクリミア戦争の戦地スクタリの病院で実施され、いイリス陸軍に規律をもたらしたようです。教育の機会と娯楽が兵士たちに与えられたことで、実際、「「イギリス兵士は、飲んだくれの、手に負えない乱暴者」という、これまでの悪い評判は消え」る変化(p.133)がありました。この事実は、現代の我々にも、教育だけでなく、人間にとっての娯楽の重要性を教えてくれます。


内容について、ほかにもコメントしたいことはありますが、長くなるので、ここまでに致します。


 2-3.文体や装丁画に関するコメント

本書の著者は、英米文学の翻訳家・村岡花子です。ドラマ好きの方には、NHKの朝の「連続テレビ小説」で、2014年度の上半期に放送された『花子とアン』の同名主人公のもとになった人物といえば、イメージしやすいでしょうか。現実世界の村岡花子は、モンゴメリーの『赤毛のアン』シリーズの翻訳者として知られる一方、児童書を手がけた作家。今回、私は村岡花子の文章に本書で初めて触れました。読んだ文章のイメージは、対象年齢の小学校5~6年生に合わせた易しい文体である一方、使われている語彙や時代背景の状況を説明する内容レベルから、未成年の読者を一人の人間として認め、著者が語りかけるもの。成人した私も、じゅうぶん、読むに耐えるもので、旧版が出た時代と比較しても古びない文体でした。


続いて、表紙の装丁画について、コメントいたします。今回の新装版で、イラストを担当したのは、イラストレーターの丹地陽子さん。本書の絵柄は、Tobiさんの『ギリシア神話 知っておきたい!神様たちの物語』(角川つばさ文庫)ほど、アニメやゲームに寄せたものではありません。強いていうなら、「キャラ文芸」の本の絵柄でしょうか。「キャラ文芸」とは、一般文芸とライトノベルの間くらいに位置する文芸ジャンルといったら、よいでしょうか。例えば、その作品には『ビブリア古書堂事件手帖』シリーズ(メディアワークス文庫)が挙げらます。

(日本文学研究者の大橋崇行さんの解説を読んだ感じでは、上記の文芸ジャンルを20代以上をターゲットにした作品について、「キャラ文芸」ではないか?と。参照:「小説とラノベを分けるのはナンセンス!? 人気の「キャラ文芸」とは何か?」【識者解説】 | ダ・ヴィンチニュース )


この文芸ジャンルの挿画は、アニメやゲームよりも「漫画っぽい」絵柄で、本書の対象年齢である10代の興味をひき、働き盛りの成人が手に取るのに抵抗が少ない、というイメージが私にはあります。丹地さんはWebメディアのインタビューで画風が多様であると指摘されています。ただ、インタビュー記事内にある、丹地が手掛けた文庫やライトノベルの紹介ムックの装丁画を見た私は、どの本もキャラ文芸のターゲットと重なる絵柄ではないかと思いました。



3.最後に

書評は以上です。本書については、内容、文体、装丁画ともに、私は小中の図書室に置けば、児童・生徒に読んでもらえる本だと考えています。本書には電子書籍版もあって、携帯端末に入れて気軽に読めるのは、よいなぁと。


もし、本書を読んで看護師の仕事に興味をお持ちの方がおられたら、次の番組ページをご覧になってみてもよいかもしれません:

先々週、11月14日㈬の『探検バクモン』は、お笑いタレントの爆笑問題、司会者たちが、本書の解説者・川原由佳里さんがお勤めの日本赤十字看護大学に行く回でした。番組では、看護学生たちの実習を体験したり、現代の幅広い看護職のことを聞いたりする内容で、濃くて、盛りだくさん!NHKオンデマンドでも配信されているとのこと。


あと、看護の歴史がご専門の川原さんは、看護学と歴史学の両方の博士号をお持ちの方。院生や研究者の問題を考えるブログをやってきた私は、川原さんのご経歴は「自分も看護の歴史を研究したい」方にとって参考になると思いました。


色々と長くなりましたが、今回はここで終わりです。お読みくださり、ありがとうございました。



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